一時停止連関体。

視線が追いかけてきます。

人の視線や役割の視線や関係の視線や、いろんな視線が僕を規定しようと追いかけてきます。

この一カ月程の間、僕は仕事の視線に追いかけられてきました。

社会学とかで言われる“役割距離”みたいなニュアンスで、関係性の中では、求められる行動があります。
たとえば、医者という資格をとって、病院の中で医者という役割になったら、周囲の関係性からの視線は、その人に医者として振る舞うべき行動を要求します。
つまり、理知的で理性的な判断を求められ、一般的に“病気を治す頼るべき人”という役割を負わされます。

こうした、人を規定してしまうような関係からの視線は、ほとんど自動的に、その文化的な習慣性の中からその人に襲いかかってきます。

すでに成り立ってしまっている価値の群れから逃れるのは、それこそ“死をかけた抵抗”みたいなものが必要になるのかもしれない。

で。

時に、こうした関係性からの視線に押しつぶされそうになります。

僕の仕事は精神科でのソーシャルワークなんですが、僕はまだまだかけだしです。
まだまだ、経験や知識や技術が未熟なんです。

できることにも限度があります。

それが僕の現実なんですが、関係性からの視線は、未熟であることを許してくれません。

僕の職場はまだまだ体制が整っていないところもあって、もろもろの人事移動や入退職が重なって、未熟であっても数年で古株になってしまいます。
そうなると、関係性の視線は、僕の現実を超えた行動を要求してきます。

これはつらい。

現実にはほとんど対処したこともないような状況であっても、関係性からの視線は、専門職として振る舞うべき行動を取るように迫り、専門職としてきちんと対処することを要求してきます。

まぁ、しょうがないっつやーしょうがないですし、それが社会の中を生きていくってことかもしれませんが、こちらの現実を無視して襲いかかってくる視線の群れは脅威的だったりします。

・・・ある意味、宇宙的恐怖(コズミックホラー)だ。。。w

で。

現実には欠点があります。

僕たちが生きている現実経験には、取り返しのつかない重大な欠点があります。
(※参照:「現実の欠点」http://blogs.yahoo.co.jp/nanonoid/24600399.html

それは、時間がシームレスに流れていくということです。

僕たちが生きている現実は、時間がとめどなく流れていって、一時停止をかけたくてもかけようがないんです。

これもけっこう無常なことで、立ちどまってよく考えたいなぁって思っても、時間は止まってくれません。

関係性からの視線は僕に専門職としての立ち居振る舞いを要求するけど、現実の僕としてはできることに限度があって、こなせないケースも多々あります。
そして、現実経験はシームレスに時間が流れていって、本音としては“ちょっとまってよ。もうちょっと勉強させて。それから行動するから。”って言いたいんですけど、なかなかそうもいきません。

そんな現実と関係との二律背反的な現実の中に立たされていると、カメラ屋さんの夢を見ちゃうわけです。(※参照:「夢のカメラ屋」http://blogs.yahoo.co.jp/nanonoid/34699350.html

そして、カメラ屋の夢は、セガのなつかしのゲームマシンSG-1000兇了廚そ个鯱∩曚気擦泙后腹┿仮函А嵬燭けの一時停止」http://blogs.yahoo.co.jp/nanonoid/34701270.html

僕の持っているSG-1000兇蓮▲曄璽襯疋椒織鵑防垓餽腓あります。
ゲーム中に一時停止しようとホールドボタンを押しても、正常に再開される保証がないんです。
大抵、リセットがかかってタイトル画面に戻されちゃう(爆)

僕が今生きている現実もSG-1000兇澆燭い覆發里如一時停止は容易にできません。
今、“勉強するからちょっとまって。”をするためには、今の関係性からの視線を振り切らなければならない。
そのためには、いったん仕事を辞めてリフレッシュ休暇を取って、体制を整えてから次の職場を目指すべきかもしれない。
もちろんそれは、十分にありうべき可能性ですし、そうすべきかもしれません。
しかしそうしたとしても、SG-1000兇離曄璽襯疋椒織鵑里茲Δ法∪犠錣忘導される保証はどこにもありません。

そうしたわけで、ここ数週間、一時停止に伴う泥沼的円環に陥りつつありました。

が。

しかし。

意味の繋がりはすごいものだ。

今日、職場に新しい人が入職しました。
人数が増えて助かったこともあるんですが、この新人の方、もうすでに職場経験のある方で、慣れてる方なんです。
単純に仕事を振れて、頼りになる方なんです。
(・・・まぁ、これから一緒に仕事をするわけだから、まだなんともいえませんが。。。)

これで、僕にまとわりついていた僕を規定する関係性からの視線が和らぐ可能性が出てきました。

つまり、かけだしのワーカーとして、勉強や研修に打ち込める時間が取れそうなんです。

あー、なんか、ほっと一息って感じです。

なんか、とりあえず、求められる不自然な行動から逃れられそうです。
とりあえず、“勉強不足だからよくわかりません!”っつっても許されそうな感じです。
とりあえず、自然に一時停止ができそうな感じです。

ほんと、ほっと一息ですw

今年こそはいろいろ勉強しよう。
いろいろ研修行こう。
で、精神だけでなく、哲学や現象学やって、今後の展望が立てられたらいいなぁ。。。

そうしたわけで、今、ドトールでぐだぐだと一日の振り返りをしているんですが、とっとと帰って明日のために寝ることにします^^