月の立体。

昨日の晩は涼しくて、涼しいと元気になるので、仕事帰りに銭湯に入りました。

浴場の中には“寝ころび湯”という場所があって、僕もそこに寝転がって一息ついていました。


僕の頭上には月が在ります。


月の在りように停止をかけると、その立体が際だってきます。

停止をかけると、時間と空間の原形式が発掘されます。
時間と空間は、絶対的なゼロ、“いま・ここ”から紡がれます。


“寝ころび湯”に横たわる“いま・ここ”の目の前には、レイヤー1・“メガネ層”があります。
僕はメガネをかけているので、裸眼の次に来る第一の層はメガネになります。

その次にはレイヤー・2“実在層”が在ります。
すぐそこにある植林や建物は、僕の手の届く場所にあり、しっかりと実在しています。

その次にはレイヤー・3“非在層”が在ります。
月に届くまでは何もない空間が続いています。

その次にはレイヤー・4“雲層”があります。
この日は風が強く、気持ちよく雲が流れています。

その次にはレイヤー・5“宇宙層”があります。

そして、月にたどり着きます。



快晴の日に月を眺めても、その立体感はなかなか感じられません。
月の距離感を感じさせる、相対的な層が不在だからです。

しかし、昨日の月は立体でした。

この日はレイヤー・4“雲層”が在り、さらにこの“雲層”が“雲層・1”と“雲層・2”に分かれていたからです。
そして、一番手前にある“雲層・1”は右に流れ、その奥にある“雲層・2”は左に流れていたのです。
このため、僕の目の前に展開されている時間と空間は、いつもの僕の見知る時間と空間とは少し異なっており、より奥行きを持ったものに変容されていきました。


さて、現実も展開されます。

私は現実に他者がいることを知っています。
その他者はいくつもの折り重なるレイヤーの中から相対的に奥行きを持たされています。
そして、そのレイヤーは、時間・空間の原形式、絶対的に不動であり転変する“いま・ここ”から不断に紡ぎ出されています。


以上の理由から、月と“いま・ここ”に感謝w