手元空間。

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学生の頃、美術の時間、写真のコラージュをしたときの感覚。

おおよそ自分とは関係のない場面で撮られた客観的な写真の群が、次々と“私”からの意味を与えられ、“客観的な写真”から“自分にとっての写真”へと変容していくときに感じる“奥行き”の感覚があります。

“在る”の姿は次々と変容します。

買ったばかりのシャーペンは、どこかよそよそしいけれど、使ってくうちに自分の物になっていく。

僕の部屋は死ぬほど散らかっているけど、部屋の物は全て自分にとっての位置に収まっています。
・・・若干アスペっぽいのかもw

ケータイやPDAやノートPCを新しく買ったとき、僕はシールをよく貼ります。
自分でPCで作ったシールを張り付けて、自分にとっての意味を付与していきます。
・・・なんか、犬のマーキングみたいだw

昔、飲料水の工場で働いていたことがあります。
初めてこの工場に足を踏み入れたときは、とても巨大に感じました。
扉の裏に何があるかわからず、機械の裏側は本当に謎で、なんか不気味な感じがしました。
でも、半年近く勤めて、フォークリフトで隅々まで移動できるようになると、空間はだんだん小さくなります。
巨大で不気味な空間が、自分の手元に引き寄せられてくる。
機械の裏はもはや客人ではなく、“自分にとっての機械の裏”です。

他人の車から眺める風景はどこかよそよそしい感じがします。
他人の車で知らない土地をドライブしていると、自分の客人感覚はどんどん増えていって、寒々しい感じや窮屈な感じをするときがあります。
そんなときは、自分からこの他人の車に意味を与えて、自分にとっての空間を広めていきます。


僕がアイを買わずにスマートを買ったのもそうした感覚からであり、スマートはより手元に近かったからです。
馴染み深さを感じたからです。
そして、車の車内に蓮の花のオブジェをおいたりロボットのキーホルダーを吊したりするのも似たような感覚からであり、スマートの車内を自分にとっての手元空間にしたかったからです。

こうして、手元空間であるスマートの車内から眺める光景は、少し違ってきます。
その光景の“在る”は“蓮の花が咲いており、廃材から作られた機械のキーホルダーが吊された空間から掴み取られた光景”に変容し、より奥行きを持ったものとなります。

そうしたわけで、スマートを運転していると、光景が自分の手元に引き寄せられてきます。



で。

先日。。。

酔っぱらいにスマートを蹴られました(爆)



この感覚は最悪だ。
スマートに余計な意味が強引に潜入してくる感覚。
酔っぱらいの持つ意味なんてスマートに付与したくなかったのに、蹴られたことでこのスマートには“酔っぱらいが酒の勢いで蹴りを入れたスマート”っていう意味が与えられてしまいました(-_-;)
しかも、この酔っぱらいは僕もよく知っている人物であり、どんなキャラクターかも把握しています。
で、そのキャラクターは僕の嫌いなものです。
一緒にいてぜんぜん気持ちよくない、不愉快なキャラクターなんです。
自分の持ってる手元空間に他者の持つ意味空間が強引に侵入して来るのは最悪です。

幸いにも、そんなに強く蹴られなかったんで、傷やへこみはありませんでしたが、精神的にはめちゃめちゃへこみましたw

三度目の風邪の上、車も蹴られるし、最近ついてないっすw


ちなにみ、仕事を自分の手元に引き寄せると、ISOが取得できなくなっちゃうので、仕事は故意に客人扱いしていますw